反日日本人・発生の経過と原因

武田邦彦

マスコミが伝えない事実と解説・・・超政治的課題から日々の生活情報まで

  • 10 minutes 34 seconds
    反日日本人への疑問 祖先は悪いことをするのか?
    反日日本人への疑問 祖先は悪いことをするのか?




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    ここで少し難しい話をしたいと思います。それは「我々は祖先を非難できるのか?」ということです。

    日露戦争を始めるとき、ロシアが満州で止まるのか、鎮海湾に来るというのが本当か、佐世保は取られるのか、日本が植民地になったらアジアと同じように女性は乱暴され若者は両手首を切り落とされるのか・・・すべては不明です。

    日露戦争を始めて、世界最強の陸軍に日本陸軍が勝てるのか、日本を遙かに上回る戦力を持つ旅順艦隊とバルチック艦隊に日本海軍は勝てるのか・・・すべては不明です。

    祖先は「不明の中で道を選んだ」のですが、後の私たちは「結果を知って祖先を批判する」ことができるでしょうか?

    大東亜戦争は、ハワイ奇襲、マレー沖海戦、シンガポール攻防戦でいずれも日本が大勝利を収め、その時に、ハワイ奇襲の第三波を出して石油基地を叩き、シンガポール攻防戦の後、インドと一緒になってイギリスをインドから追い出していたら、そこで休戦になっていたでしょう。

    祖先は「不明の中で道を選び」、私たちは「結果を見て祖先を批判する」ことを続けています。その時には「私たちと同等の判断力を持って正しいと思うことを選択していた」と思われます。

    それを今になって批判できないと考えられます。まして「戦争に負けたから戦争は悪かった」という論理はまったく非論理的です。

    (平成25年6月25日)


    武田邦彦
    26 August 2014, 11:03 pm
  • 9 minutes 29 seconds
    反日日本人・唯一の論拠  上海事変から南京事変
    反日日本人・唯一の論拠  上海事変から南京事変




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    さて、日本の戦争が「侵略戦争」だったか、「自衛戦争」だったかのもっとも難しいのは、1932年以後の中国南部との戦いである。でも、中国との戦いは明治以来、日本が戦った戦争の一部であることも事実である(ノモンハン事件のように軍事的意味は大きいものは除いてある)。

    (1) 薩英戦争、四国戦争(明治維新直後の白人との戦い)
    (2) 台湾事変(50人ほどの一般日本人が台湾に漂着して殺されたことに対して日本軍が出動した事件)
    (3) 日清戦争(朝鮮の独立のために日本と清が代理戦争を行った)
    (4) 日露戦争(ロシアの南下に対して自衛した戦争)
    (5) 第一次世界大戦の参戦(イギリス側)
    (6) 満州事変(清が放棄していた地域)
    (7) 上海事変からの中国南部戦線(見かけは中国との戦い)
    (8) 大東亜戦争、太平洋戦争(白人との戦い)

    問題は(7)だが、ここで日本は中国軍と戦ったのか? それとも中国の地で白人と戦ったのか? それとも共産主義との戦いだったのか?

    蒋介石率いる中国軍は、第一次上海事変で非武装の条約が結ばれた上海近郊に、ドイツ軍人の指導でトーチカ群(ゼークトライン)を築城。一方で、中国第36師団など4師団の軍事訓練、チェコ製の軽機関銃をそろえた(条約違反だが、反日日本人は語らず)。

    4千人の在上海日本軍(呉、佐世保、出雲)に対し30万人の中国軍人を準備した上で日本軍を挑発して引き起こされたのが、第二次上海事変だ。戦闘開始直後、中国軍機は日本の民間人を狙って爆撃し、パレスホテルなどで730名即死、大世界娯楽センターでは避難した婦女子を中心として1000名が死亡した。

    この戦いは日本軍にも旅順攻撃以来の犠牲者を出し、国際的にはニューヨークタイムズやヘラルドトリビューンが「中国軍が上海地域で戦闘を無理強いしてきたのは疑う余地は無い」と報じるなど反日日本人の著述と全く違うのもまさに「反日日本人」である。

    (平成25年6月29日)


    武田邦彦
    26 August 2014, 11:00 pm
  • 10 minutes
    反日日本人の性癖(3):お金がすべて。魂無し。
    反日日本人の性癖(3):お金がすべて。魂無し。




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    反日日本人ができた原因の一つに戦争に対する無知、アーリア人と日本人の差というものがあるが、やはりもっとも大きな原因は「儲かる」からだろう。その一例を朝日新聞の歴史から見てみよう。

    朝日新聞は満州国建国を熱烈に賛成して、批判的だった毎日新聞を大きく引き離した・・・国民が満州国を支持したからだ。

    朝日新聞は戦争賛成で論陣を張り、大いに人気をえて、二流新聞が一流になった・・・国民が戦争を支持したからだ。

    朝日新聞は戦後、突如として反戦、反日、左翼に転換し、またまた販売部数を伸ばした・・・国民が反戦、反日を支持したからだ。

    朝日新聞は原発と被曝に厳しく反対し、事故が起こったら逆に原発・被曝賛成に回った・・・国民が子どもを被曝させることを良しとしたからだ。

    朝日新聞ばかりではなく、豹変した文化人もいたし、もともとはNHKがつくった「その時代のよい子報道」に根ざし、それが日本の空気的事実に拡大する。そして官僚、マスコミなどがそれによって儲かるという図式が続いてきた。

    負けないように頑張ろう!誠実な日本人同士で!!

    (平成25年6月28日)


    武田邦彦
    26 August 2014, 10:59 pm
  • 9 minutes 55 seconds
    反日日本人の性癖(2) 白人の本質を知らずに崇拝
    反日日本人の性癖(2) 白人の本質を知らずに崇拝




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    白人はアーリア系どう猛民族。紀元前2000年。紀元前1200年。紀元1600年に拡大。

    白人の学問は自己正当化の手段。

    白人は植民地にした有色人種の女性を無制限に乱暴する。

    日本の知識人の頭脳は白人の論理に歯が立たずにごまかされてしまった。

    最近、ある戦後のまとめを読んでいたら、その厚い本の8割がギリシャから始まるヨーロッパ文明がまとめられていて、それを元にあるテーマを考察している。このような状態だから白人支配の根は深い。

    (平成25年6月24日)


    武田邦彦
    26 August 2014, 10:59 pm
  • 12 minutes 22 seconds
    反日日本人の性癖(1) 戦争に対する無知
    反日日本人の性癖(1) 戦争に対する無知




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    中学校社会科用「新編新しい社会 歴史」(東京書籍)p.188より
    『女性や子どもをふくむ中国人を大量に殺害しました(南京事件)」(注:この事件は、南京大虐殺として国際的に非難されましたが、国民には知らされませんでした)』・・・女性や子ども、大虐殺自体、国際的な非難・・・など項目自体が完全なウソが教科書に載っているけれど、一体、誰が書いたのだろうか?

    「虐殺」という定義や「戦争」の現実から離れている人の感覚かも知れない。戦闘には国際法があり、敵の兵士、形式を整えない投降兵士、軍服を着ていない兵士、戦闘現場にいる市民は殺して良い。戦争とは「殺すこと」であり、日常的な常識は通用しない。殺人数が多いほど英雄なのだから戦場では「殺すことが正義」なのだ。

    日本軍だけに「日常的な常識」を戦場で求めるのはフェアーではない。日本軍にも「国際法上の戦闘の規則」を適応すべきだ。南京で日本軍が殺害したのは多く見積もって10万人ほどで、そのほとんどは敵兵であり、僅かに偽装投降兵、便衣兵(軍服を着ない敵兵)、逃げられるのに逃げずに戦場にいた市民がいた。

    国際法上では殺しても良いが戦闘以外だったという数は、最大で1000人程度である。これは戦場においては罪ではないし、まして虐殺ということはまったく言うことはできない。

    当時、国際的にも日本軍がもっとも「規律正しい軍隊」であることは認められていて、それが日英同盟の基礎にあった。

    アメリカ軍が日本本土を爆撃し、殺害した婦女子を中心とした非戦闘員は80万人で、これは国際法上の違法行為である。反日日本人の性癖として戦争というものや、戦時の国際法を知らないで、ただ「日本を批判したい。アメリカは神様だ」という意識で子どもたちに間違った歴史を教えるのも止めたいものである。

    実はこの南京事変の前にあった上海事変の「中国と日本の戦い」ではなく「白人の代理としての中国と日本の戦い」であった可能性もあり、これも歴史を詳細に調べないとわからない問題だ。

    南京事変も上海事変もこのぐらい小さな問題になると、軍事の常識や事実を詳細に調べなければならない。ところが「侵略かどうか」というのはもっと大きな視点の方がよく見える。「木を見て山を見ず」と言うことにならないようにしたい。

    (平成25年6月20日)


    武田邦彦
    26 August 2014, 10:58 pm
  • 9 minutes 36 seconds
    反日日本人・発生の経路と原因(7) 与謝野晶子の詩
    反日日本人・発生の経路と原因(7) 与謝野晶子の詩




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    日露戦争の時の与謝野晶子の詩・・君死にたもうことなかれ

    旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて・・・

    ああおとうとよ 君を泣く
    君死にたもうことなかれ
    末に生まれし君なれば
    親のなさけはまさりしも
    親は刃(やいば)をにぎらせて
    人を殺せとおしえしや
    人を殺して死ねよとて
    二十四までをそだてしや

    親は刃を握らせて人を殺せと教えていない。でも、目の前で強盗が自分の子どもを殺そうとしている時、親はどうしろと教えただろうか?

    この世には矛盾というものがある。「責任ある人」というのは「矛盾と事実を認めて評価する」と言うことでなければならない。この詩はその後も日本の反日日本人に大きく影響をし、反戦運動の一つのシンボルになった。

    でも、私が「それはそうだ。でも強盗が侵入したらどうするの」と言うと答えがない。それが今でも続いている。女性でも「世の中の一部だけを理解していれば良い」という時代ではないと思う。自分の娘が乱暴され、自分の息子の両手首を切り落とされた方がよい、それでも戦争をしたくないと思うのだろうか?

    「今日が良ければ明日は考えない」という考えを、「明日が良ければ今日は考えない」という人が理解するのは難しい。しかし、それも錯覚ではないだろうか? 与謝野晶子の詩を少し変えてみる。

    旅順口包囲軍の中に在る弟を思いて・・・

    ああおとうとよ 君は盾
    君逃げたもうことなかれ
    末に生まれし君なれば
    父のなさけはまさりしも
    父は命を惜しむとて
    国を捨てろとおしえしや
    母を見捨てて逃げよとて
    二十四までをそだてしや

    弟が逃げれば母は殺される。そのためにこそ命がある。

    (平成25年6月20日)


    武田邦彦
    26 August 2014, 10:57 pm
  • 10 minutes 55 seconds
    反日日本人・発生の経路と原因(6) 千島、満州、朝鮮、台湾、中国
    反日日本人・発生の経路と原因(6) 千島、満州、朝鮮、台湾、中国



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    約100年前から70年ほど前まで、私たちの祖父、父母が頑張ってきた「戦争」=「日本の繁栄とアジアの独立」は決して全体としては侵略戦争と呼ぶようなものではなかったことがわかりました。

    それを第一段階として、ややこしい問題も整理しておきます。それは日本の近くの国との関係です。

    まず千島ですが、かつて日本とロシアの間で千島と樺太は両方が使っていたので、1875年に「千島樺太交換条約」を結び、樺太がロシア、千島が日本とした。だから千島は日本の領土なので、千島に日本が軍隊を置いたのは問題ではなく、まして侵略ではない。

    次に台湾だが、台湾は日本が1895年に領有するまで中国の外部占領地であり、国として独立して存在していない。だから台湾は日本が最初の国でこれも侵略ではない。また日本は台湾のいざこざ(明治維新以来数回あった)で清国軍とも「台湾軍」とも戦ったことはない。

    朝鮮は李氏朝鮮が清の属国だったのを、日清戦争で朝鮮を独立させたのは日本だった。ただ日本は朝鮮(大韓帝国)を完全に独立させようと為たのではなく、日本の外部国として半独立の状態にあった。また大韓帝国は自らの軍隊で自らの国土を守ることはできなかった。

    朝鮮は1910年に日本に併合されているが、これは日露戦争の結果であり、後の満州国の設立と同じ意味を持つ。

    満州はもともと清(中国)の出身地方であるが、清は支那に移動し、清の末期にロシアに割譲した。それを日本が1932年に独立させた。「独立させた」というと傲慢に聞こえるが、満州は自分ではロシアから独立できないのだから仕方が無い。まして中国は満州を見捨てていた。

    中国は大国で近隣地域とは違う。でも、かつて中国は清が国の体をなしていなかったので、イギリス、フランス、ロシア、日本で分割していて、アメリカが商業的にはかなり進出していた。また、具体的な日中戦役のキッカケになった上海事変については別途、整理をする。

    つまり、日本が日清戦争から大東亜戦争まで行った戦争の内、「侵略」と呼べるものは、せいぜい1932年の上海事変から1945年の敗戦までの13年間の中国南部戦線だけである。日本の戦争の10分の1程度に過ぎない。

    だから「日本人」なら「日本が行った戦争の内、10分の1が侵略戦争だったが、その規模は欧米の侵略戦争と比較してきわめて小さく、またアジア諸国を開放したという功績との差し引きでは、侵略と言って非難するには当たらない」と言うだろう。

    まして誇りを持った日本人なら「日本の祖先が行った戦争はアジアの国として輝かしいものであり、大いに誇りを持ち、一つ一つの出来事をよく勉強し、将来に役立てることが必要だ」と言うことになるだろう。

    (平成25年6月20日)


    武田邦彦
    26 August 2014, 10:57 pm
  • 11 minutes 11 seconds
    反日日本人・発生の経路と原因(5) アジアの独立と勇敢な日本人
    反日日本人・発生の経路と原因(5) アジアの独立と勇敢な日本人




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    ほとんどの日本人が「戦争で日本は悪いことをした」、「戦争とは悪いものだ」と思っていますが、事実は正反対です。

    日露戦争は1571年のレパントの海戦でオスマントルコがスペイン艦隊に敗北して以来、長く続いた白人による植民地支配の中で、実に330年ぶりの勝利であり、この勝利が植民地支配の中で呻吟する有色人種に与えた勇気は格別のものがあった。

    特に長くロシアに痛めつけられていたトルコは日露戦争以来、親日になった。また白人の国家は日露戦争を見て、1)日本はウッカリ植民地にできない、2)他の有色人種の国も無制限にとることはできない、と警戒するようになった。

    日露戦争はそれ自体が自衛戦争であったと同時に、日本が世界の平和と平等、独立に大きな寄与をした日本人が誇るべき戦争であって、反日日本人が非難するようなものではない。歴史の教育もはやく大きく変えるべきである。

    こんなことになっているから、「国家を大切にしたい」と思う人たちがイライラして、統制的な憲法改正などに動こうとする。むしろ日本人が合意できるところは合意した方が良い。なんでこんなにムダな対立ばかりをしているのだろうか? (対立が利権化??)

    また大東亜戦争では日本が白人軍を攻めた国は植民地から独立を果たしている。以下の数字は、その国が植民地になった(攻められた年―日本が撤退した年―独立した年)の一覧である。南の方から、

    インドネシア (1800-1945-1949) 145年-4年

    マレーシア (1795-1945-1957) 149年-13年

    インドシナ  (1862-1945-4954)  83年-9年

    フィリピン  (1529-1945-1946) 416年-1年

    このようにどの国も日本が白人軍を打ち破ったので、150年近くの植民地から脱して10年ぐらいで独立を果たしている。日本の進出がなければ独力で植民地を脱するのにはかなりの時間を要しただろう。

    また、このように直接的に日本が植民地を解放したばかりではなく、中国やインドといった大国も独立の機運の中で次々と独立していった。

    中国 (1885-1945-1945)  60年-0年

    インド (1761-1945-1947)  184年-2年

    中国はいろいろ理屈を言うから植民地期間と日本軍が撤退してから独立までの年数を表示するのを止めたが、中国が白人の浸食から脱したのも日本の活躍によるものである。またインドは約200年に及ぶ植民地の呻吟から僅か2年で頸木を脱した。

    大東亜戦争における日本の目的は「大東亜共栄圏」、つまり白人をおい飛ばして自分たちの国を作り、その共同体でアジアが繁栄しようというものであり、とりあえず東南アジア地方を植民地から解放し、そこにある資源を買って日本の繁栄を続けるという意図だった。

    日本、およびアジアの発展のためには、ともかくまずは白人軍をおい飛ばす必要があり、それは成功した。しかし、日本が占領できなかったハワイなどはハワイ王国に戻ることはなかった。

    ハワイ   (1898-1945-まだ独立していない)

    このような歴史的事実を整理して、それでも反日日本人は「大東亜戦争は悪」と言うのだろうか? そういう日本人はいないだろうし、それほど日本を嫌いで、祖先のやったことを批判したければアメリカかどこかの白人国家に移民して欲しいものだ。

    (平成25年6月19日)


    武田邦彦
    26 August 2014, 10:56 pm
  • 10 minutes 3 seconds
    反日日本人・発生の経路と原因(4) 日本人は侵略者の白人だけと戦った
    反日日本人・発生の経路と原因(4) 日本人は侵略者の白人だけと戦った



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    明治以後の日本は大きな戦争を2つ、小さなものを二つ行った。その大きな戦争は日露戦争と大東亜戦争だった。日本が「侵略戦争」をしたという反日日本人の表現が正しければ、まずはこの2つを検討しなければならない

    まず日露戦争だが、この前の記事に書いたように日露戦争はロシアの侵略に対して、中国(清)も朝鮮も戦わなかったので、やむを得ず日本が戦った戦争だった。清は軍隊を持っていたが戦わずに満州をロシアに渡し、朝鮮は戦うだけの軍隊を持っていなかった。

    教科書裁判で有名で、本人はともかく反日日本人を育てた家永三郎さんは、その著書の中で、

    「(日露開戦を決め)天皇は大奥入御の後も御悲しみのためしばらく御言葉がなく御目には御涙をたたえさせられていたと伝えられる」(家永三郎、『新日本史』(1947冨山房))

    と記録している。家永三郎さんはその後、反日側に立ったが、記録自体は否定していない。だから、日露戦争は侵略戦争ではなく、自衛戦争であることで誰も異論が無いだろう。

    次に、大東亜戦争(太平洋戦争・・太平洋での戦い、第二次世界大戦・・世界全体の呼び名)は、敵将のマッカーサーが「自衛戦争」であると言っている(このシリーズの記事の最初)ので、日本人としては「自衛戦争」で良いと思うが、それでも反論があるかも知れない。

    大東亜戦争で日本が戦ったのは、北の方から地域(相手、元々の国)
    ソ連(ロシア、満州、千島、樺太方面:旧清、旧日本領土)
    中国(中国)
    フィリピン(アメリカ:旧スペイン、旧フィリピン人)
    インドシナ(フランス:旧安南国、ラオス王国、カンボジア王国)
    シンガポール(イギリス:旧マラッカ王国)
    マレーシア(イギリス:旧マラッカ領土)
    インドネシア(オランダ:旧マタラム王国)
    ハワイ(アメリカ、旧ハワイ王国)
    である。

    中国を別にすると日本が戦ったのは「白人による石油などの資源の禁輸措置」に対して「侵略者の白人」を攻撃したのであり、もともとの国の国民を侵略したのではない。

    また、朝鮮、台湾と日本が戦ったことはない。従って、日本が「侵略戦争」をしたとするともしかすると中国だけであり(後に中国に対する戦争を解説する)、その他の戦争は反日日本人でも「侵略戦争」とは呼ばないだろう。

    もしこれを侵略戦争と呼ぶとすると「侵略者を攻撃すること」を「侵略戦争」と呼ぶことになるが、これは不適切である。

    ということで、日露戦争も大東亜戦争も全体としてみれば侵略戦争ではなく、やや疑いがあるのが日中間の戦争だけということになる。この点ではどんな日本人でも、韓国人でも異議はないだろう。

    (平成25年6月16日)


    武田邦彦
    26 August 2014, 10:56 pm
  • 10 minutes 45 seconds
    反日日本人・発生の経路と原因(3) 明治天皇の嘆き
    反日日本人・発生の経路と原因(3) 明治天皇の嘆き



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    鎮海湾に軍港を作られると日本は植民地になることが決まるので、日本は戦争を決意します(玄関先でドアを叩く強盗と決死の覚悟で戦う決意をした状態)。当時の日本の主要な人の言葉は・・・

    明治天皇:「朕は開戦を望まぬ。が、もはやいかんともしがたい。もし敗北した場合、どのようにして祖先に詫び、国民に説明したら良いのか」(苦悩と絶望の中)

    伊藤博文:「もし陸軍、海軍が全滅し、ロシアが九州、山陰に上陸してくることになれば、この伊藤、生命、財産、地位、名誉、すべてなげうって一兵卒として鉄砲を担いで戦う覚悟である。」

    井上馨(元老):「万が一、高橋是清(日銀副総裁)の外債募集がうまくいかなかったら・・・おおお・・おお・・・」(言葉がでない・・日本滅亡が頭をよぎった)

    こんな中、アメリカに仲介を依頼しに行く金子堅太郎、外債発行の高橋是清は決死の覚悟で渡米、渡欧する。陸軍、海軍、首脳、外交、財政のどの一つでも掛けたら日本は滅亡する運命にあった。

    まっても植民地、負けても植民地、日本は2000年の歴史の中で最大の危機にみまわれたのだった。これが日露戦争であり、乃木将軍の二○三高知の奮闘、東郷平八郎司令官の日本海海戦に勝ち、ようやく日本は植民地化を免れたのだった。

    このことによって日本はアジア、アフリカ諸国とは全く違う「有色人種として唯一の発展した国」になり、その恩恵を私たちは受けている。これを「侵略戦争」という人はいないだろう。でも歴史的事実を韓国が教えいなていないのは仕方が無いとして、反日・日本人は日露戦争の歴史も学校で教えることに反対している。その理由は、日本が正義であったり、苦心惨憺して勝利した記録などは聞きたくない!!という気分なのだろう。

    (平成25年6月16日)


    武田邦彦
    26 August 2014, 10:55 pm
  • 10 minutes 5 seconds
    反日日本人・発生の経過と原因(2) ロシアの侵略
    反日日本人・発生の経過と原因(2) ロシアの侵略




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    20世紀の初め、ロシアは雪崩のごとく極東に勢力を伸ばし、モンゴルの領地を取って、さらに満州北部に来て、「ウラジオストック(東の支配)」を建設した。その後、満州を南下して旅順に軍港を作り、さらに現在の韓国・釜山の近くの鎮海湾を軍港にすると宣言した。

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    地図でわかるとおり、モンゴル(韃靼)、中国(清)、朝鮮の領土を次々と侵略していくロシア・・・今では考えられないことだが、それが20世紀初頭の白人のやり方だった。そして有色人種は圧倒的な白人の軍事力に屈していた。中国(清)は戦わずして満州をロシアにあげ、ロシアが鎮海湾に来るのも間近になった。

    もともと鎮海湾は自然の良港で日本に蒙古が襲来したときに軍船が出航した場所である。ロシアは、鎮海湾に軍港を作ったら、ウラジオストックから新潟へ、鎮海湾から佐世保港へ、さらに台湾に進出する計画だった。

    今では考えられないことだが、「侵略」とはこういうものだった。ロシア陸軍は最強だったから、陸伝いに韓国の南まで進出するのに妨害できる国はなかった。

    当時、ロシア皇帝はニコライ二世だったが、あまりに強引なやり方にドイツ皇帝が「やり方が乱暴ではないか」と注意をしたとき、ニコライ二世は「東洋のサルなど反抗してくるはずはない。余が戦争を為ないつもりなので、戦争など起こらない」と言った記録がある。

    日本は日清戦争で朝鮮を独立させ(当時、朝鮮は独力では独立できなかった)、共同でロシア進出を止めようとしたが、朝鮮は戦うことは嫌ったので、鎮海湾にロシアは軍港を作る計画を示したのだ。

    日本としては、鎮海湾から佐世保港、台湾、それに新潟を取られるか、それとも戦うかの選択を迫られたのだった。ちょうど、玄関に強盗が来て扉を叩き、あと10分もすると玄関が破られて強盗が家の中に入ってくる・・・家には幼い子どもや女がいる・・・という状況に至ったのだった。

    これはアジアの植民地となった他の国とまったく同じだった。植民地になると女性は乱暴され、優れた若者は両手首を切り取る・・・それが当時の白人のやり方だった。

    反日日本人はロシアはもちろん、女性を自由に乱暴したポルトガルも、手首を切り落としたイギリスも非難しない。

    (平成25年6月16日)


    武田邦彦
    26 August 2014, 10:55 pm
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